租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

法人成りの研究(3)「節税」から「社会保険料の節約」へ

ミニマム法人あるいはマイクロ法人

 前回は「税金だけでなく社会保険負担も踏まえた上で、どのくらいの所得なら法人成りをするのが得か」を計算しました。結論は、所得3,100万円以上という高いハードルでした。 

taxlawlabyrinth.hatenablog.com

 法人成りのハードルがこれほどまでに高い理由は一言で言えば「節税メリット以上に法人負担の社会保険料の支払いがキツすぎる」ことにあります。所得3,000万以下の多くの個人事業主フリーランスにとっては税金よりも社会保険負担が問題になるわけです。

 これを逆手に取ると「節税」ではなく「社会保険料の節約」ができないかという議論がでてきます。

 実際、田近・横田研究では社会保険負担の回避のために給与所得者がプライベートカンパニーを設立するスキームが議論されていましたし*1、現在日本においても一部で”ミニマム法人”や”マイクロ法人”と呼ばれる「社会保険料を少なくするためだけに設立される法人」が注目されているようです*2

 

社会保険料節約スキーム

 下図のようなスキームを考えてみましょう。個人事業主が売上の一部をマイクロ法人に流し、マイクロ法人の代表者として給与を受け取り社保に加入するというスキームです。

 

f:id:taxlawlabyrinth:20201227171457p:plain

 「売上の一部を流す」というのは本業に付随する一部の業務やちょっとした別の事業を法人で行ってそもそもの売上を分ける(法人はクライアントから収入する)場合も考えれますし個人から何らかの業務を委託して法人へ手数料を支払う形も考えられます*3。 

 ここでポイントとなるのが、現行の社会保険保険・厚生年金制度においては、会社で社保に加入していれば保険料はその会社の標準報酬によって決まり、加入者がその他に事業所得があろうが金融所得があろうが関係がない、という点です。

 したがってマイクロ法人において社保に加入して給与を最小限に抑えてさえいれば、あとは事業所得でどれだけ稼ごうとも社会保険料は増えません。東京都の協会けんぽの料率だと標準報酬を63,000未満に抑えれば年間の社会保険料は(会社負担を含めても)年額28万ほどに抑えられます。

 個人事業の所得が1,000万あるとき国民健康保険国民年金で約110万の負担が生じるのに対して28万で済むのは非常に大きな節約です。しかも厚生年金は国民年金への上積みですから受益面での損もありません。

 なお、念の為断っておきますが、本稿はこうしたスキームを肯定・推奨する趣旨ではありません。こうした社会保険負担回避スキームがあることとその効果について(講学的にというかひとつの研究として)議論をするのみです。

 社会保険制度の趣旨から見てどうなのか微妙なスキームであるようには思われますが私はその方面の専門家ではありませんしその点についての価値判断は行いません。法的な整理や受益面の影響などは下記の書籍が詳しくまとめています。

 

 基本的な建付けとしては会社から役員報酬をもらう以上社保に加入「しなければならい」しそうすると国保には入れず、また社会保険料は標準報酬(のみ)によって決まることになっているため、この形にならざるを得ないというものです。

 例えば高所得の弁護士が「本業の傍ら」経営コンサルティングを行う事業を法人形態で始めたとして、役員給与が低ければ純粋な法令順守の結果として社会保険負担は下がります。つまりあえて社会保険負担を避けようとする意識がなくてもこうした形は自然にあり得るものではあるということです。

 

効果の試算

 以下の前提で、マイクロ法人を活用することによってどれだけ経済的な利益が生じるのかを試算します。

  1. 令和2年12月現在の法令に準拠する。
  2. 青色申告をしている個人事業主が売上を年間80万円だけ法人へ分ける。
  3. 法人は代表者(個人事業主)に年額54万円の役員給与を支払い、社保に加入する。54万円という金額は給与所得控除内におさめるため。
  4. 法人は80万円から給与・法人負担の社保を引いた分に対して法人税等を支払い、法人税等は資本金1億円以下の普通法人として計算する(均等割は7万円)。

 そして普通に個人事業主として国民健康保険(東京都千代田区を念頭に計算)・国民年金に加入した場合と比較を行った結果が次の図です。

 

f:id:taxlawlabyrinth:20201227163148p:plain

 税金と社会保険を合わせた負担額の所得に対する比率はマイクロ法人の活用によってかなり抑えられることがわかります。

 次に節約「額」も見てみます。

f:id:taxlawlabyrinth:20201227163216p:plain

 

 これを見ると、所得が600万程度でも50万以上得をします。所得900万で効果は72万に達し、それ以降はどれだけ所得が増えても概ね同じ効果を保ち続けます。年間72万ということは5年続けたら360万、10年なら720万……と相当な金額になります。

 このスキームでは、所得を全て法人に移して役員給与で受け取る場合(所得集中型の法人成り、前回検討したもの)に比べて逆の効果を生みます。すなわち、わざわざ均等割や法人税を支払うために税金面では損をしますが*4、それ以上に社会保険の面で得をする形になります。

 社会保険負担は所得1,000万もあれば個人・法人ともに頭打ちに近い状態となりますが、このとき個人の負担額は約110万、マイクロ法人を使うと28万ですから80万以上得をします。税金が多少多くなっても全く気にならないレベルのメリットです。

 スキームの是非はともかく、効果そのものは所得集中型の法人成りに比べて圧倒的に「優れている」ように思われます。効果の大きさもさることながら、かなり所得が低い段階でも効果が発揮されるのが特徴です。法人の設立・維持費用が50万円かかるとしても、所得500万もあれば回収できます。

 所得集中型の法人成りは相当に所得が大きければメリットが出ますが、ビジネスは生き物ですから「法人を作ったものの意外に儲からなかった」のでは損になる危険があります。実務上この点は重要です。

 さらに今回は配偶者なしで考えていますが、社会保険には扶養という概念があり保険料を増やさずに配偶者が社保に加入できる利点もあります。当てはまる人も多いのではないでしょうか。

 

まとめ

 田近栄治先生は「日本においても拡大した社会保険料負担の下、個人事業主はイギリスと同様に法人成りして、報酬を最小限に設定するのが最適となる。『二重の経費控除』を目的とした法人成り時代は終わったのである」*5と述べられています。

 ここまで3回にわたって法人成りを検討してきましたが次のことがわかりました。

(1)これまでは所得500~1,000万円あれば法人成りは「節税」になるからいいと言われてきた。

(2)しかし社会保険負担も含めると所得3,000万ないと得にはならない。

(3)むしろ法人から最小限の給与を取って社会保険料の低減をするスキームが有効である。

 ただし、最後の社会保険料節約法人スキームに関しては専門家の関与が必要でしょう。

 

 

*1:田近栄治「事業体選択と社会保険料―増大する社会保険料への事業主の対応と帰結―」『企業課税をめぐる最近の展開』(証券税制研究会編2020)。

*2:こうした議論をしている一般向けの啓蒙書として、両@リベ大学長『本当の自由を手に入れるお金の大学』朝日新聞出版2020)。

*3:「考えられます」が税務的には検討を要するスキームです。

*4:一点面白いのは、社保を節約することによって社会保険料控除が少なくなり課税ベースが広がる点も「税金だけを見れば」損であることです。もちろんこれは気にする必要はないことですが。

*5:前掲注1・13頁。