租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

税務における株価評価に改正の気配(残余利益法)

あなたは加藤論文の存在を知っていますか

最近、佐藤信祐先生が書かれた下記の本を読んでいます。

これまで佐藤先生の本というと組織再編に関する技術的な内容のものを読むことが多く、そういうイメージを持ちがちだったのですが、本書は博士論文をバックボーンにしているということで単に実務的な指南だけではなくアカデミックな意味で掘り下げられていてとても知的好奇心を刺激され面白いです。

そして本書の中に「加藤論文」なる節があり、そこで初めて税大論叢(国税の研究機関が発行している論文誌)に財産評価基本通達における取引相場のない株式の評価方法に関して改正を提言している論文があることを知りました。

下記URLから概要、本文PDFが読めます。

 

加藤浩「今後の取引相場のない株式の評価のあり方」

 

株価対策は税務コンサルティングでも重要な事項になりがちなものですから、仮にその方法が変わるとなれば税理士としては早めに対応を考えておかなければなりません。

つい最近個人名義変更保険に対する取扱いの変更が報道されたことは記憶に新しいですが、これも少し前に税大論叢に論文が出た矢先のことでした。今度も同じようなパターンで通達の改正が行われる可能性は否定できないところです。

将来の相続税対策として株価の引き下げに取り組んで多額の報酬をもらっておきながら数年後にサーセン、改正されて全く意味なくなりました」では洒落にならないでしょう。

 

見直し案の内容

気になる改正案の内容ですが、加藤論文が提案しているのは残余利益法という計算方法です(少数株主の特例的評価等についても加藤論文は色々と論じておりますが、本記事ではひとまず原則的評価・残余利益法にフォーカスします)。

これはDCF法のように将来の利益を現在価値に割り引いて企業価値を算出するアプローチ(いわゆるインカムアプローチ)ですが、使用する数字が貸借対照表の簿価純資産や損益計算書当期純利益であり、その意味で実務上客観的な計算ができる特徴があります。

そして現行の時価純資産額方式については法人税等相当額の控除を廃止(代わりに斟酌率を導入)した上で、原則的評価方法としては残余利益法と時価純資産価額方式の2分の1ずつの併用、と提案しています。

残余利益法は類似業種比準方式のように「大企業には馴染むが零細企業には馴染まない」といった企業規模による区別がなく当てはめられるものであるため上記の割合は全ての企業に使えるものであるとされます。

 

f:id:taxlawlabyrinth:20210619222124p:plain

加藤浩「今後の取引相場のない株式の評価のあり方」376頁。

現在の原則的評価方法との比較ではまず類似業種比準方式が廃止されるというのが大きな変化です。

これにより「取引や従業員の規模を大きくして大会社に該当させつつ利益や配当を少なくして株価を抑える」という典型的な株価対策が行いづらくなります。

残余利益法自体それほど入り組んだ計算法ではないためテクニカルに評価額を下げる余地がないですし、また加藤論文で想定されている計算方法では期首の簿価純資産が評価額の下限になるようですから、その時点で極端な租税回避がやりにくい評価方法であると言えます。

そして従来からある時価純資産価額方式についても、方式自体は存置するものの評価差額に対する法人税等相当額の控除を廃止するということですから持株会社を設立して株価の値上がりに対する法人税等相当額を控除する」というこれまた典型的な株価対策が封じられることにもなります。

 

改正の現実的可能性

では実際に加藤論文の内容に従った通達の改正が行われると考えるべきなのでしょうか。佐藤先生は次のように書いています。

加藤氏の私見であることから、加藤論文のとおりに改正されるとは思えないが、加藤論文において指摘されている取引相場のない株式の評価に係る問題点については、それほど違和感のある内容は記載されていなかったため、国税庁内部においても、その問題点については、ほぼ共有されていると考えて差し支えないと思われる。

佐藤信祐『〔改訂版〕会社法・租税法からアプローチする非上場株式評価の実務』152頁(日本法令2021))

その上で内容を検討して「残余利益法の採用には同意し難い」とし、規模に関わらず類似と純資産を1:1にするのでも加藤氏の問題意識(の多く)は解決できるのでは、と別の道を指摘しておられます。

加藤論文自体少し不思議な論文で、単に税務における株価評価を理論的に検討したというよりは、「実際に通達の改正を行う」ことを強く意識した書き方になっています。しかしその反面、残余利益法が現行の評価法より優れていると評価しているわけでもありません。

ざっくばらんに論の進め方を読み解くと株式評価のアプローチにはネットアセットアプローチ、マーケットアプローチ、インカムアプローチがあって、ネットアセットは現在の時価純資産、マーケットは現在の類似業種だから、その2アプローチを採ると新たな評価方法を考える意義がないのでインカムから攻めてみようという調子で、さらにそうして考えてみた残余利益法が「仮に」今の方式よりデメリットが少ないなら導入の余地があるよね、という仮言的な言い方をしています*1

とはいえ、佐藤先生が書かれている通り、こうした問題意識がある程度は国税の内部で共有されているからこそこの論文が公表されているのでしょうし*2、保険通達の改正の事例や、非上場株式の評価について否認する裁判例が多く続いている傾向から考えても、控えめに言っても改正に備えておかなければならないと考える要素は出揃っているように思います。

  1. 国税の研究機関が見直しを提案する論文を公表している(加藤論文)
  2. 加藤論文で論じられている問題意識は他の実務家・研究者(佐藤信祐先生)からしてもそれほど違和感のあるものではない
  3. 保険の通達は国税の論文先行で改正された過去がある
  4. 非上場株式の評価を否認する裁判例が頻発している

少なくとも顧問先から「え、先生、こういう改正がされるって噂とかなかったの?」と聞かれて「知りませんでした」と答えられる状況ではないなと。

もちろん勝手に改正されると決めつけることもできませんし、今は現行法で戦うしかありませんから仮に改正されても税賠といった問題にはならないでしょうが、顧問先との信頼関係という意味ではそういう問題ではないので。

今後は残余利益法との兼ね合いをみながらの株価対策が求められそうです。

 

*1:加藤論文359頁の注158は「仮に、このデメリットが、類似業種比準方式よりも少ないとすれば、新たな評価方式の採用の余地はあるといえよう」としており、それ以降実際にそうだと評価をしている記述は見受けられません。

*2:私は以前、ある国税OBの方が「税大ジャーナル」に執筆した論文について「当時は国税の通達を批判してはいけないという制約があったので……」と話されているのを聞いたことがあります。それが明示的なマナーなのか暗黙の空気なのか、全ての著者に当てはまることなのかはわかりませんが、少なくとも国税の立場から見てよほど問題のある内容のものは出せないのが現実なのだろうと推測します。