租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

「議会の財政権」『財政と金融の法的構成』

 中里実『財政と金融の法的構造』(有斐閣2018)より、本日は第5章第2節「議会の財政権」。元論文はフィナンシャル・レビューでオープン(PDF)です。

 

 

 前節の「租税法律主義は議会の財政権に基づく」という指摘を敷衍し、歴史的な視点と外国の学説を通じて「立法権に基づく法律による行政の原理」と「財政権に基づく予算・租税法律主義」の整理をしています。

 これ非常に面白いですね。

 中里先生が書いておられるように、私は漠然と租税法律主義を法律による行政の原理と並列して、なんなら前者を後者の一部として捉えていました。

 もっと言えば、租税法律主義の意義についてはじめから「司法・立法・行政」の三権分立で考えていて「議会には立法権と財政権がある」ことなど真正面から考えたことがありませんでした。

 もちろんこれ自体は(中世ヨーロッパにおける)単なる成り立ちの説明に過ぎないともとれ、我が国の憲法解釈においてどの程度指導原理として妥当するのか判然としません。*1 しかし租税法律主義の実質的内容や射程範囲が議論になることは度々あり、そのような議論に少なからぬ影響を与えるのではないかという気がします。

 例えば社会保険料に関する議論に租税法律主義の射程が及ぶのかどうかといった問題も財政権の観点から捉えることが可能となります。このあたり藤谷武史先生が『租税判例百選〔第6版〕』9頁(有斐閣2016)で旭川市国民健康保険条例事件(最高裁平成18年3月1日)について議会の民主的統制の観点に触れているのも参考になるところです。

 あるいは同じく百選で渕圭吾先生が「租税法の解釈―ホステス報酬に係る源泉徴収」(28頁)において行政法一般で体系的解釈ないし仕組み解釈が強調される中で租税法だけ「規定の文言が特段重視されるというためには、租税法規が侵害規範であるということにとどまらない正当化根拠が必要だろう」とされていることに関する”正当化根拠”になり得るかもしれません。*2

 

*1:例えば本節を読むだけだと反対する学説があるのかないのか、それに対して再反論があるのかどうかよくわかりませんでした。少なくとも我が国の租税法学界が租税法律主義を立法権的に捉えていたことについてその背景の説明が「誤認(226頁)」だけで済むのでしょうか。

*2:もちろん、本書の第3章で論じられた「制定法だから」という議論も「侵害規範であるということにとどまらない」根拠のひとつです。

「議会の財政・金融権限と名誉革命」『財政と金融の法的構成』

 中里実『財政と金融の法的構造』(有斐閣2018)より、本日は第5章第1節「議会の財政・金融権限と名誉革命」。

 

 

 財政と合わせて金融の議会的統制を考えることの重要性を説いた節です。

 特に財政軍事国家という中世ヨーロッパの観念をもとに金融制度がイングランドの軍事力拡大の元となったという議論は純粋に面白いです。

  イングランドで生まれた(真の意味の)租税法律主義は、金融に対する議会のコントロールと不可分一体のものであり、大陸法における法治国原理の延長線上のものとは多少異なり、あくまでも財政・金融を統合した議会支配の原理の表現であった。(208頁)

  この辺普通に「へぇー」と思って読んでしまいますね。

 歴史的には立法権よりも先んじて、しかも本質的なものとして、財政権が行政をコントロールしていたというのは租税法律主義と法律による行政の原理の関係についてこれまで全く聞いたことがなかった説明でした。

「主権国家の成立と課税権の変容」『財政と金融の法的構成』

 中里実『財政と金融の法的構造』(有斐閣2018)より、本日は第2章第1節「主権国家の成立と課税権の変容」。

 

 

 驚異の外国文献炸裂セクション。本節の初出は2014年の『租税法と市場』ですが、買ってきて「よーし頑張って読むぞー」と思った気持ちが序盤の本論文でボキボキっと折られたことを思い出します。

 もちろんそうやって多くの文献を示して検討していることに本節の資料的価値があるのですが、結論は主権として公法的に成立している租税も歴史的に見れば私法的な性格があるようねという他の章でも論じられている内容です。

 思えば『租税法と市場』もちょっとしか読めてないし『租税法と民法』もちょっとしか読めてないし『現代租税法講座』もちょっとしか読めてないし……いつになったら自分が思い描く知識人になれるのでしょうか。

 

「憲法が前提とする憲法以前の法概念・法制度」『財政と金融の法的構成』

 中里実『財政と金融の法的構造』(有斐閣2018)より、本日は第3章第2節「憲法が前提とする憲法以前の法概念・法制度」。

 

 

 憲法学でいわゆる制度的保障として議論されるような事柄を租税法学の「借用概念」の議論を援用することで少し異なる見方で整理する面白い論考です。

 中里先生は憲法が全ての制度を創設する包括的なものではなく、人権と統治について定めるのみでその他の多くを憲法外の法概念・法制度に委ねているとする見方を提示します。*1

 租税法学から法学に入っている人間としては租税法学のアイデア憲法の根本理解に用いられるというのは刺激的ですね。

 もっとも、それを私法と考えるのか普通法と考えるのかソフト・ローと呼ぶのかというニュアンスや呼び方の違いはあれど、憲法が既にある社会関係をある程度前提にしているのはむしろ当然なのではないかという気もしますし、それを借用概念で捉えることによってどのような議論上の実益があるのかという疑問はあります。

 これについて中里先生は、借用概念と捉えることのいわばコロラリーとして、借用元の法概念と同じように解するべきであるとする方針を導いておられるようです。

 このような重要な点が憲法学で議論されていないはずはなかろうと思うのですが、浅学によりどの辺の議論がこれに該当するのかはあまりよくわかりませんでした。もう少し日本の憲法学の文献の引用があると(不勉強な自分としては)嬉しかったところですが、基本書をあたってみます。

 また何より重要なのはこの議論が「中央銀行の法的統制に関する研究の準備作業(135頁)」である点です。本節の最後に中央銀行について若干の検討が行われていますが、そこでは日本銀行が金融政策という政策を担いながら独立性が保証されているため財政民主主義(国会のコントロールからして位置付けが微妙であることが議論されています。

 財政と金融を一体に考える場合この点は「財政と金融の法的構造」を考える上でも実体的な経済を考える上でも極めて重要な問題であるように思われ、本節はその分析に関する基本的な視座を提供しています。

 ちなみに日本銀行の法的地位について脚注で引用されている論文でオープンのものがあったので自分用にリンクを貼っておきます。塩野宏、神田秀樹、宇賀克也、安念潤司斎藤誠各氏という物凄いメンバーの研究会です。

 

公法的観点からみた中央銀行についての研究会「公法的観点からみた日本銀行の業務の法的性格と運営のあり方」金融研究第18巻第5号(1999)

 

公法的観点からみた中央銀行についての研究会「公法的観点からみた日本銀行の組織の法的性格と運営のあり方」金融研究第19巻第3号(2000)

 

 なお研究報告には「業務」と「組織」があり、本書の脚注で文章として書かれているのは「業務」ですがURLの記載は「組織」の方になっているようです。まぁ、どちらも大事そうなので両方載ってよかった(?)というところでしょうか。

 

*1:個人的なイメージとしては憲法が「光あれ」と言って天地創造したのではなく既に天地があったのを活かした的な。

「財政法の2つの側面」「財政の再定義」『財政と金融の法的構成』

 中里実『財政と金融の法的構造』(有斐閣2018)より、本日は第1章「財政法の2つの側面」と「財政の再定義―財政法の実体法化と経済学」。後者の元論文はフィナンシャル・レビューでオープン(PDF)です。

 

 

 この第1章では議会の財政権と国家の財産権を論じるのが財政法だとした上で、もっと私法関係に注目してそれを架橋に経済学を取り入れていこうという視座が整理されます。

 その前提として国家も私権の主体であること、憲法は私法秩序を前提としていること、財政と金融は一体のものとして分析しなければならないといった事柄が確認されています。

 これ自体は位置付けの整理と宣言なのであまり中身を云々というものではないですかね。

源泉徴収義務と家事使用人

2人以下なら源泉徴収不要?

 先日、以下の質問を受けました。

 当方個人事業主なのですが、親戚の手伝い2人に少額の給料を払っているだけなら源泉徴収をしなくていいのですよね?

 これは誤解です。

 この問題はおそらく所得税法184条・200条の「家事使用人」という言葉に関する誤解からきていると思いますので、少し条文の整理を試みます。

 

 先に結論だけ言うと「仕事に関係なく家事だけの手伝いをしてくれる人2人以下に給料を払っているだけなら源泉徴収はいらないが必要経費にならない。仕事の手伝いをしている人に払うものは親戚だろうが少額だろうが源泉徴収しなければならない(56条等の問題がなければ必要経費にはなる)」です。

 

タックスアンサーNo.2502

 源泉徴収義務の説明としてまずはわかりやすいタックスアンサーを引用します。「No.2502 源泉徴収義務者とは」はまず次の原則を述べます。

 会社や個人が、人を雇って給与を支払ったり、税理士、弁護士、司法書士などに報酬を支払ったりする場合には、その支払の都度支払金額に応じた所得税及び復興特別所得税を差し引くことになっています。

 しかしその後に例外が出て来ます。

  ただし、常時2人以下のお手伝いさんなどのような家事使用人だけに給与を支払っている個人は、その支払う給与や退職金について源泉徴収をする必要はありません。
 また、給与所得について源泉徴収義務を有する個人以外の個人が支払う弁護士報酬などの報酬・料金については、源泉徴収をする必要はありません(例えば、給与所得者が確定申告などをするために税理士に報酬を支払っても、源泉徴収をする必要はありません。)。

 おそらく冒頭の誤解はこの説明に由来しているのでしょう。なるほど普通に文章として読んで、例えば親戚にちょっと仕事の手伝いをしてもらってお駄賃を払っても源泉徴収をしなくてもよいのかなという風にも見えます。しかしこの「家事使用人」という用語はそのように解釈されているものではありません。

 

所得税法の条文

 「家事使用人」という言葉が登場するのは所得税法の184条と200条のみです(施行令にも登場しません)。条文を確認しましょう。文脈上、183条から通して引用します。

源泉徴収義務)
第百八十三条 居住者に対し国内において第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等(以下この章において「給与等」という。)の支払をする者は、その支払の際、その給与等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
(省略)
源泉徴収を要しない給与等の支払者)
第百八十四条 常時二人以下の家事使用人のみに対し給与等の支払をする者は、前条の規定にかかわらず、その給与等について所得税を徴収して納付することを要しない。

 すなわち183条が給与所得の支払者に源泉徴収と翌月10日までの納付を求めており、184条はその例外として「常時二人以下の家事使用人のみに対し給与等の支払をする者は」源泉徴収義務がないと言っています。なお、ここで源泉徴収を不要としているのは「その給与等」についてのみです。

 次に退職所得の源泉徴収義務についての199条・200条です。

源泉徴収義務)
第百九十九条 居住者に対し国内において第三十条第一項(退職所得)に規定する退職手当等(以下この章において「退職手当等」という。)の支払をする者は、その支払の際、その退職手当等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
源泉徴収を要しない退職手当等の支払者)
第二百条 常時二人以下の家事使用人のみに対し第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等の支払をする者は、前条の規定にかかわらず、その支払う退職手当等について所得税を徴収して納付することを要しない。

 給与所得の条文と読み方は同じであり、特に論点はないでしょう。

 ところでタックスアンサーは報酬の源泉徴収に関してもいらない場合を挙げていましたが、これはどこから導出できるのでしょうか。答えは204条2項2号です。

源泉徴収義務)
第二百四条 居住者に対し国内において次に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金の支払をする者は、その支払の際、その報酬若しくは料金、契約金又は賞金について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
(中略)
2 前項の規定は、次に掲げるものについては、適用しない。
一 前項に規定する報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等(次号において「給与等」という。)又は第三十条第一項(退職所得)に規定する退職手当等に該当するもの
二 前項第一号から第五号まで並びに第七号及び第八号に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第百八十三条第一項(給与所得に係る源泉徴収義務)の規定により給与等につき所得税を徴収して納付すべき個人以外の個人から支払われるもの

(後略)

 結局、給与所得について源泉徴収義務者になる場合のみ報酬についても源泉徴収義務者になるのであり、それ以外の個人が支払う場合は源泉徴収義務がありません。

 ちなみに省略している204条1項では1号から8号まで報酬の種類が列挙されているのですが、周到に排除されている6号はホステス等の報酬・料金です。給与等について源泉徴収義務がない個人が支払うものでもホステス等の報酬は源泉徴収が必要です。このような制度の合理性に関してはよくわかりませんが、いずれにせよ現行法はそうなっています。

 

家事使用人とは

 常時2人以下の家事使用人のみに給与を支払っている場合に源泉徴収義務がないことは条文でも確認できました。ここからの問題は「家事使用人とは何か」です。

 残念ながら所得税法は定義規定を用意していません。タックスアンサーの「お手伝いさんなどのような」という修飾は行政解釈としてヒントになるのかもしれませんが、ほんの例示のニュアンスですから拠り所としては心許ないです。

 ここでは結局「家事」概念を頼りにするしかないのではないかと思われます。

 所得税法は「家事使用人」という用語の定義は置いていませんが「家事」という文言は39条・45条で用いていますし、「使用人」という言葉も随所で用いられています。家事について45条を見てみましょう。

(家事関連費等の必要経費不算入等)
第四十五条 居住者が支出し又は納付する次に掲げるものの額は、その者の不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額又は雑所得の金額の計算上、必要経費に算入しない。
一 家事上の経費及びこれに関連する経費で政令で定めるもの

 これは家事費及び家事関連費は必要経費に算入しないというお馴染みの条文ですね。そして39条は棚卸資産の家事消費を収入金額に入れるとする条文で、これは帰属所得に課税を行う趣旨の規定であると解されています(酒井克彦『裁判例からみる所得税法』325頁(大蔵財務協会2016))。

 

 

 両方の規定に共通するのは、事業(業務)と家事という異なる要素が共存する個人に特有の論点について、両者にまたがる領域に関する所得計算の采配をする条文であるということです。*1

 

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  例えば事業所得の計算であれば事業(業務)領域の活動だけを抜き出して収入・経費を計算し所得金額を算出するという思想が読み取れます。

 このように捉えたとき、家事使用人は家事領域において使用される人を指すと解するのが体系的解釈として妥当ではないかと思われます。収入金額と必要経費に関する重要な条文において上記のような意味合いで「家事」という用語を使用している所得税法が(もちろん後ろに「使用人」という文言が付いている差異はあれど)184条・200条であえて異なる意味合いで家事概念を使用する必然性がないからです。また、このように解すると「お手伝いさんのような」というタックスアンサーの文言もすんなりと納得できます。

 この結果、家事使用人に対して支払う給与等は家事費となり、所得税法45条により必要経費への算入が否認されます。*2

 家事使用人を巡る解釈、法の適用関係はこのように整理するのが妥当ではないでしょうか。

 

①納税者の事業(業務)ではなく家事に従事する人を家事使用人という。

②家事使用人に対して支払う給与等は家事領域の支出だから必要経費に算入されない。

 

 なお納税者にとって家事領域に従事していることが家事使用人該当性のメルクマールなのであって、当然ながら納税者の親族であるか否かは全く関係のないことです。「お手伝いさんのような」とタックスアンサーが言うように、典型的には家政婦のようなケースが想定されているのでしょう。

 逆に親族という入り口から、家事使用人との対比で青色事業専従者について整理してみるとどうなるでしょうか。文言通り「事業」に専ら従事しているのですからこちらは家事使用人にあたらず、(必要経費に算入されるのは当然ながら)源泉徴収の対象になることがわかります。

 すなわち、青色事業専従者を1人使用しているだけでも支払いの際に所得税を徴収して納付しなければなりません。*3

 冒頭の疑問はこのあたりの混同があったようですが、事業(業務)領域と家事領域という区分を念頭に考えればすっきり理解できるのではないかと思われます。

 逆に不思議なのは、何故家事使用人(常時)2人超だと源泉徴収が必要になるのかです。この点は家事使用人側の課税関係と合わせて考えたほうが納得しやすいかもしれません。

 

家事使用人側の課税関係

 当然ながら「家事領域だから所得計算に関係させない」のは家事使用人を使用する納税者(雇い主)にとってのことであり、家事使用人の側(雇われ側)はそれを仕事として行っています。184条は給与等の支払者から見て家事使用人であれば源泉徴収の必要がないと言っているだけで、受給側にとってそれが給与所得になることはむしろ前提となっています。

 一般的な給与所得者の場合、支払い側の源泉徴収と年末調整によって課税関係は終了します。しかし家事使用人は184条により源泉徴収が行われない場合があります。このため、納税額が発生するときには自身で確定申告を行う必要があります。

 この点国税「確定申告が必要な方」のページ等でわざわざ(1)~(6)の給与所得者の類型のうちのひとつを使って「在日の外国公館に勤務する方や家事使用人の方などで、給与の支払を受ける際に所得税等を源泉徴収されないこととなっている」場合を挙げています。

 経験則的にそれほど給与が高額になることはないようにも思われますが、一概に言い切れるものではありません。家事使用人の場合に源泉徴収の宥恕的な措置を設けておきながらそれをあくまでも2人以下に限っているのは、大規模に家事使用人を使用して課税漏れが起きるというような源泉徴収制度の趣旨が没却する事例が生じることのないよう設けられた防波堤のようなものなのでしょう。*4

 

*1:必要経費と家事費の二分説やより分析的な条文解釈論としては酒井克彦『所得税法の論点研究』338(財経詳報社2011)参照。

*2:家事関連費、施行令96条の問題はとりあえず置いておきます。

*3:さらに、このような納税者はタックスアンサーでいうところの「給与所得について源泉徴収義務を有する個人」となり、税理士や司法書士に支払う報酬についても源泉徴収義務を負います(204条2項2号非該当)。

*4:念の為ですが、このあたり何の参考文献も見ず想像で言ってます。コンメンタールとか見れば書いてあるのでしょうか。

「金銭債権と租税」『財政と金融の法的構成』

 中里実『財政と金融の法的構造』(有斐閣2018)より、本日は第7章第2節「金銭債権と租税」。

 

 

 他の箇所でも度々述べられているように租税債権は本質的には(民法の)金銭債権であること、制定法の解釈には普通法がベースにあることが確認されます。

 そうした一般的理論が現れる具体的局面として、過誤納の租税に対する不当利得返還請求の問題が議論されます。中里先生としては私法がベースなのだから私法的な手段による救済はちゃんと認められるべきだという立場ですね。

 本書で論じてきた一般理論の具体的な適用場面として興味深い節です。