租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

法人成りの研究(1)導入編

問題意識

 世の中ではよく「個人事業主も儲かってきたら法人化した方が節税になるよ」「フリーランスも所得〇〇円からは法人設立を検討した方がいいらしい」などと言われます。

 税理士としてお客様からの相談も時折ありますが、実際どのくらいの所得があれば法人化は得になるのでしょうか。

 とりあえず取引先や従業員に対する信用といった定性的な面は脇に置いて、お金の損得について考えてみます。

 

動機

 このような検討をしてみようと思った直接のきっかけは「東京税理士界」の横田崇先生の報告を読んだことです。同報告は「税金だけではなく社会保険負担も含めてどのくらいの所得なら法人成りが有利なのか」を検討するものであり、非常に勉強になりました。以前に記事も書いています。

 

taxlawlabyrinth.hatenablog.com

 

taxlawlabyrinth.hatenablog.com

 

 それまでも一体いくらから有利なのかという俗説のようなものはいくつか聞いたことがありましたが社会保険負担を考慮に入れていないものが多く、自分としても実際のところどうなのかはずっと気になっていました。

 そして同報告の追試をしてみようと少し掘り下げたところ、田近栄治先生の論文も出て来ました。計算について筋道の説明はされていますがピッタリの数字を再現することはできませんでした。

 そこで、世間への情報提供も兼ねつつ(?)自分なりに計算を起こしたものを公開してオープンな批判に晒すことで適切な算出を模索してみようと考えました。

 つまりここでやろうとしているのは「田近・横田研究の自分なりの再現」です。研究と題してみましたが新規性のある学術研究ではありません(ブログだし)。


2018年:田近栄治・横田崇「日本の中小企業課税問題 : 増大する社会保険料負担に企業はどう対応するか」(成城大學經濟研究・第222号)

2019年:横田崇「事業体選択と税・社会保障事例研究」(東京税理士界・第749号)

2020年:田近栄治「事業体選択と社会保険料―増大する社会保険料への事業主の対応と帰結―」『企業課税をめぐる最近の展開』(証券税制研究会編)

 

ネット上の情報

 参考までに法人成りの「分岐点」についていくつかネット上の情報を見てみます。


個人事業主が法人成りを考え始める目安となる事業所得はどのくらい?

 こちらはfreeeのサイトです。個人で事業所得として受けるか法人成りして役員給与にするかの比較を行い「実際に法人成りを検討し始める事業所得(利益)の目安は、だいたい500万円程度からです」としています。結果的に給与所得控除の効果を重視した算出結果となっているでしょうか。

 

所得がいくらあればお得? 法人成りによる節税メリット4選
 こちらはマネーフォワードのサイトです。所得税の税率と法人税の税率(表面税率?)を比較して「個人事業主としての利益が800万円~900万円くらいになった時が、法人化を検討するベストなタイミングでしょう」としています。

 

個人事業主が法人化するベストなタイミングは「所得が600〜800万円」って本当?【税理士が解説】
 FREENANCE MAGさんというメディアのサイトです。こちらは所得税・住民税の税率と法人税率(表面税率?)を比較して「『売上から経費を引いた個人所得が600~800万円くらい』になったときが、法人化を検討するタイミングかもしれません」としています。

 

起業のかんたん税金計算シミュレーション(弥生の起業家応援プロジェクト)
 法人成りすべき所得の水準を結論しているものではありませんが、弥生の運営するサイトの中にある個人と法人の税・社保負担の試算をしてくれるページです。

 社会保険料負担まで含めているところやインターフェースの使いやすさが秀逸で、私がやりたいことに近いです。平成26年の制度なので少し古いですが大きな影響はないでしょう。なお、収入の全てを給与として出すという前提で数字を入れていってみると2,100万円あたりで法人が有利になりました。

 

 他にも(具体的に名前を挙げるのがなんとなく怖いので控えますが)税理士事務所のブログなども見てみると、法人化すべき所得は500~1,000万円としているものが多いようです。

 法人成りの損得をどのように考えるかの立場も違いますしそれぞれの前提条件の下で計算結果を示しているというだけのことなのでどれが正しいとか間違っているというものでもないとは思いますが、法人成りすべき所得水準に関する主張を見る上では次のような点に注意する必要があると感じました。

  • 着地としての経済的ポジションを揃える:例えば単純に所得税率と法人税率を比較して「法人税率の方が低い」といっても、それは同じ利益を個人と法人それぞれで受けた時点の税負担に留まる話です。法人から個人に資金を流す際にはそこでまた税負担が生じる可能性があります。個人的には、個人事業の場合と同様に個人に課税後キャッシュが届いた状態で比較しないと意味がないように思われます。
  • 税目を網羅する:個人の税負担を考える際に事業税を考えていないとか法人の税負担で均等割を考えていないといったように税目に漏れがあると適切な比較にならないため、重要なものは網羅してあげる必要があります。
  • 社会保険負担を考える:横田論文の一番のポイントですが、社会保険はもはや税金よりも重要といってもいいくらいの重要性を持っていますので、これを無視して税金面だけを考えても実務的な意義は乏しいように思います。またこの際、社会保険料の会社負担部分も法人成りによって生じるコストとして認識する必要があります。

 

本稿の計算方針

 上記の問題意識を受け、続く記事では「ビジネスで得た儲けを自由に使える課税後キャッシュとして手元に得るまでにどっちの事業体を使うのが最も税・社会保険負担が少ないか」の観点で計算をしていこうと思います。

 といっても繰り返しますが田近・横田研究をなぞることになるだろうと思われます。