租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

年末に年末調整制度について考える

税制審議会答申

 『税理士界』第1395号に掲載されていた日税連から「税制審議会」への諮問に対する答申「源泉徴収制度のあり方について―令和元年度諮問に対する答申―」を読みました。

 税制審議会は(特別委員)金子宏東大名誉教授を会長、中里実東大名誉教授を会長代理とする組織です。

 基本的には「現行の源泉徴収制度は複雑すぎて源泉徴収義務者に過大な負担が課せられているのではないか」という視座によるものであり、地に足の着いた論点出しがなされていて勉強になります。

 おおよその結論はもう少し仕組みを簡素化したり範囲を明確化したりして源泉徴収義務者の負担を減らしていこうよというもので大変共感もできました。

 

確定申告との選択制について

 しかし個人的に少しひっかかったのは「確定申告との選択制の是非」の部分です。同答申は、年末調整制度を廃止し又は確定申告との選択制にすべきであるという意見に対して次のように述べます。

 しかしながら、仮に年末調整制度を廃止すると、全ての給与所得者に確定申告を強制することとなり、給与所得者と税務当局の双方の事務負担が増加し、執行上の問題が生ずるおそれがある。また、年末調整と確定申告との選択制に移行した場合には、前述したとおり源泉徴収制度が形骸化するおそれがあるとともに、源泉徴収義務者が自らの事務負担を回避するため、受給者が年末調整を希望するにもかかわらず、その責務を全うしないという事態も想定される。(7頁)

 率直に言っていまひとつ意味がわかりません。と言いますか、年末調整を廃止すれば給与所得者と税務当局の事務負担が増加するのは当然のことですが、そんなに恐れるほどの事務負担をいま源泉徴収義務者に課していることの合理性が問題であるはずです。

 所得税は本来的には給与所得に限らない包括的所得課税、申告納税制度が原則にあるはずですから、年末調整による課税関係終了は建付けとしてはむしろ例外にあたるはずです。そこで源泉徴収義務者に精密な年末調整義務を課す根拠が「それをしないと給与所得者と税務当局が大変になるから」では説明になっていないように思います。源泉徴収義務者が大変であってもいい理由がわかりません。

 また給与所得者の負担が増えると言っても、現在の年末調整書類は給与所得をとりまく所得税制をほとんど完璧に理解していないと適切に記載できません。ですから、いまの年末調整書類を書ける納税者であれば確定申告は問題なくできるはずです。所得控除を引いて税率表を適用するだけです。

 逆に納税者が年末調整書類を理解していない前提であれば合理性を語る前に現行の年末調整制度は破綻しているのであり、その維持処理負担を源泉徴収義務者に課すことこそ過酷で不合理と言わなければならないでしょう。

(といったあたりの話は過去記事でもしました)

taxlawlabyrinth.hatenablog.com

 

職場だからこそ言いたくないこと

 個人的にむしろ重要だと思った指摘はその後に続くプライバシーの部分です。

 従来年末調整制度の合理性の論拠とされるのは、給与の支払者は給与所得者と(税務当局よりも)距離が近いからやりやすくて合理的だというものでしょう。

 しかし結婚したとか離婚したとか、障碍者の子供を扶養しているとか、職場の同僚だからこそ言いたくないこともたくさんあると思います。そしてそうした傾向(同僚のプライベートまで踏み込まない)は基本的に年々強まっているのではないでしょうか。

 そうしたことを踏まえつつ年末調整の電子化やマイナポータル連携との文脈で考えると、「給与所得者が書類をデータで出して源泉徴収義務者がそれを読み込んで年末調整」よりも「源泉徴収義務者が源泉徴収票(年調しないもの)をデータで出して給与所得者がそれをマイナポータルで読み込んだら確定申告書が出来上がる」という逆のルートの方がお互いに幸せなのではないか?と思いました。

 もちろんこれは何ら学術的な調査に裏打ちされたものではなく個人の感覚・主義主張にすぎません。碩学の皆様が練り上げた答申に軽々しくいちゃもんをつける形になってしまい大変失礼いたしました。

 私個人は必ずしも強硬に年末調整廃止を主張するものではありませんが、年末調整維持の正当化論拠が弱いことをまず認める必要があると思っています。維持したいのであればそのためにこそ事務負担軽減を図る必要があり、本答申はそうした議論のために建設的かつ有益なものであると考えます。