磯崎哲也『起業のエクイティ・ファイナンス』(ダイヤモンド社2014)
必読書の続編もまた必読書
前回記事の『起業のファイナンス』がだいぶ面白かったので勢いで続編を読みました。続編のこちらももはや8年前となりますが、現在も通用する学びが多く含まれている必読書だと思います。
内容的には前作を導入や総論的に位置付けるならさらに発展や各論を掘り下げているような感じで、例えば投資契約については契約書の例とそれに関する逐条的な解説、注意事項が学べる点が非常に実践的です*1。
優先株式、みなし優先株式といった手法を使ってVCとの利害調整を図りつついかにうまくExitを狙っていくか、そして序盤にそれらで失敗した場合に「乙種普通株式」や組織再編を使っていかに状況を持ち直していくか、という「まさにそこが知りたい」記述のオンパレードです。むしろスタートアップ実務に関わるなら「知っていないとマズい」のでしょう。
優先株式での投資割合・金額は必ずしもバリュエーションを表すわけではないというのはきちんとわかっていなかったのでなるほどと思いました。
ただし一部、例えばみなし清算条項について(135頁)など「もう少し書いて欲しかった」と思う部分もありました。
以下、税務プロパーの視点から議論として取り上げたいと思ったのが二か所ほど。
株主間の意思確認は財産評価に影響を与えるか
ひとつはみなし優先株式の評価についてです。本書では異なる株価で株式を譲渡することが税務上の問題を引き起こす可能性への備えとして、株主間の契約で、各当事者が下記のことを確認する規定を入れるとしています(183頁)。
本合意書に基づく株式の譲渡価格は、本合意書にあらかじめ定められた権利及び義務に基づいて決定されるものであり、当該権利及び義務が付かない株式の税務上の時価を表す取引事例として考えることは基本的には適切でないこと。
もちろん著者としても保険的意味合いというか、「できることはやっておこう」という趣旨で記載しているものであることはわかりますしそのことに反論はありません。
しかしご存じの通り租税法律関係は課税庁と納税者との公法関係であり、課税標準の算定に納税者の主観的意思は基本的には関係がありません。
議論として持ち出すには非常にプリミティブな例で恐縮ですが、路線価1億円の土地を贈与するときに贈与契約書に「本件土地の時価は1千万円であることを確認する」と記載したところで贈与税の納税義務に何らの影響も与えられないことは明らかです。
異なる権利義務が張り付いている株式についてはもちろん評価が異なって構わないと思いますが、いずれにせよ契約書の条項の有無とは無関係にそのときの状況や実態だけで判断されるのではないかというのが個人的な見解です*2。
株式譲渡益への課税は「先取り」か
もう一点は、何故株式の譲渡益に対する課税は比例の低税率なのかという議論です。本書は、それは金持ち優遇ではなく長期にわたる努力の成果が一時に実現することに対する平準化の意味があると述べ(これは普通の通説ですね)、さらに企業価値が将来キャッシュフローの割引現在価値で表されることからすれば「国としては、本来、将来にならないと課税できないはずの利益に対する税金を先取りできたとも考えられるわけです(319頁)」と述べています。
おそらく著者としてはベンチャーの社会的意義の強調や、いわれもないバッシングへの防御として書いているのでしょうが、正直この「先取り」論は議論としてはあまり意味がないように思いました。
そもそも包括的所得概念から出発すれば、本来的には持っている株の値上がり益が発生すればそれが未実現であってもその時点で課税されるべきです。譲渡時の課税はむしろ評価の現実性や納税資金への配慮をした例外的な「繰り延べ」措置に位置付けられます(だからこそ著者の言う平準化の議論にも繋がります)。そして資産の評価額が将来便益の割引現在価値であるというのはベンチャーの株式に限った話ではなく本質的には資産全般に言えるのではないでしょうか。
ここはベンチャーの意義を強調するためとはいえ無理に話を難しくせず、(「平準化」とあわせて)普通に金融所得課税の理由付けとして言われる「足が速い」所得だから裁定取引が働かないように一定の課税にする必要があること、法人財産の増加や配当は法人税引後のものであること、個人が勤労所得に対する税を負担した後の資金で行う投資に対する課税は二重課税(相対的重課)になり得ること、などを言えば足りるのではないかと思いました。
もっともこの辺は実務ではなく捉え方の問題なので、繰り返しますが、批判とかではなく単に議論として取り上げたくて触れてみただけです。
余談:さて次は実践編として『実践スタートアップ・ファイナンス』読みたいですが、繁忙期突入につき、果たしていつ読めるか。。。
*1:ただし、投資契約の条項については必ずしも法的な(裁判上の)効力に意味があるというより単に認識のすり合わせ的な意味合いに留まるのではないかというものも散見されるように感じました。それらのすり合わせが重要であることはその通りなのでしょうが、契約書の形で取り交わすことにどれだけの意味があるのかは私にはよくわかりませんでした。
*2:条項を書いたから安心してはいけないと思うだけで、書いてはいけないとは思いません。ただし、書いてあるからこそやぶへび的に課税庁から「わざわざこうやって書くということは何か無理やりな価格設定で譲渡をしているのかな?」と勘繰られる余地が生じることは(非常に低い可能性ながら)あるかもしれません。