租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

法人成りの新展開

2種類の法人成り観

 興味深い論文を目にしたので、今回はそれをテーマに。日本証券経済研究所のウェブサイトで公表されている田近栄治先生の論文です。

 

事業体選択と社会保険料—増大する社会保険料への事業主の対応と帰結—

 

 この論文ではイギリスで横行している給与所得者が個人会社を設立して税・社会保険負担を逃れる「偽装雇用」スキームを参考に、法人成りにもオールドビューとニュービューがあることを整理し、我が国においては社会保険負担の大きさを考えればもはやオールドビューは成り立たずニュービューに注目する必要があるとしています。

 まずオールドビューというのは個人の売上を法人成りで法人に付け替える代わりに給与をたくさんとり、給与所得控除を使った「二重の経費控除」により税負担の軽減を図るという従来の一般的な法人成り観です(所得集約型の法人成り)。

 しかしこれは社会保険負担を踏まえると実はそれほど「おいしい」話ではありません。これに関して研究報告があることは既に当ブログで触れましたが、それはまさに田近先生の共同研究によるものです。結論としては、事業所得2,600万円ほどにならないと法人成りは有利ではないというものです。

 

taxlawlabyrinth.hatenablog.com

 

 これに対してニュービューは逆に法人から個人に流す所得を最小限に抑えることで税・社会保険の負担を最小化します。イギリスで流行っているスキームがこれだとのことです。

 こうするとたしかに税・社会保険負担という意味では事業所得300万もあれば個人の場合に比べて有利とされます(田近論文図表5)*1。言うまでもなく法人税は比例税率であり所得が増えても累進的に多くの税金を取られることもありません。

 たしかに法人を作って給与を抑えておく、というのは実務でも時々聞く話ではあります。

個人への利益移転はどうする

 田近論文はそこまでの整理を踏まえた上で税制の対応として例えば社会保険料を税方式にすることが必要なのではないかといった議論に入って締めくくります。論文のテーマとして仕方がないのかもしれませんが、個人的には少し不完全燃焼でした。

 というのも、たしかにニュービュー方式によってその時点の課税(社会保険料徴収)そのものは逃れられるものの、給与を低く抑えて法人課税を受けた段階では経済的利益は法人に留保された段階にあり、所得集約型の法人成りとの比較がapples-to-applesになっているとは思われないからです。

 その後配当なり給与で個人に流せばそこで課税が生じるのであって、そこの負担まで踏まえたところで見ないと法人成りのスキームとしての比較にならないのではないか?と。イギリスでは配当の課税に控除があるとのことですが、日本ではそれはありません。

 最後には留保金(配当)課税の問題が議論されていますが、税負担軽減スキームそのものの整理とそれに対する対応の問題が混ぜ合わさっており、私には少し理解が難しかったです(しかし田近先生の方が圧倒的に頭脳明晰なのでおそらく議論としては適切なのでしょう)。

むしろ単純に「法人成りしない」というスキーム

 実務家としてより現実的なのは、法人成りがそれほど有利ではないならばごく単純に個人事業主のままにしておくほうがいいという「スキーム」です。むしろ、現在法人で事業を行っている人が法人を清算して個人事業主になってしまってもいいかもしれません。

 純粋な税・社会保険料負担のみならず管理コストまで踏まえるとこの選択はより現実的に思えます。税務の立場から言えば税務調査が訪れる可能性が圧倒的に低くなりますし、一般的に個人事業主の方が税理士報酬は安く、登記関係の費用もかかりません。

 「儲かってるから法人作らなきゃなんだ」と言えばなんとなくカッコイイですし、ただ単に個人事業主というのはつまらない結論のようですが、ひとりビジネスならば結局はかなり有効な形なのかもしれません。*2

 

*1:全くの余談ですが、私は大学時代に財政学の教授から「図と表は全く異なる情報なのだから”図表”などという意味不明な言葉を使うな」と指導されました。論文は作法が色々あるのも面白いです。

*2:組織化することを考えると従業員や取引先への信用を考え、法人化するのが自然かと思います。