租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

租税回避の実在性と妻のジョーク

 最近「租税回避」が気になっています。

 租税回避というのは考えてみると非常に不思議な概念です。例えば雑談レベルの会話では「こないだのA社の税務訴訟、やっぱり租税回避だと認定されて追徴税額払ったらしいね」とか「このB社の取引、実際のところ租税回避目的なんだろうけど、租税法律主義だから規定がない以上課税はできないよなぁ」なんて言われたりします。

 しかし講学上の定義に従えば、(定義は色々ありますが)租税回避は課税要件の充足を避けるものです。通常の取引であれば課税されるところを、迂遠な、あるいは不自然な取引を組むことで、同一の経済的な成果を達成しつつ課税を避けるわけです。

 そうすると、課税要件法的に言えば、ある事象を「租税回避だ」と言った時点でそれはもはや「課税されない」と言っているに等しいことになります。同族会社の行為計算否認規定のような具体的な実定法(否認規定)の要件に当てはまるかを争うのであれば別として、課税要件を充足しないという前提を一度とってしまえば、その先はもう法の解釈・適用の議論に乗らない話になってきます。議論のしようがない、と言いますか。

 今読んでいるのは岡村忠生教授の「租税回避研究の意義と発展」(同編『租税回避研究の展開と課題』(ミネルヴァ書房2015)299頁)です。

 同論文は思考の深い岡村先生らしく、租税回避を論じる意味とその実在性を根源的に問うていくものです。そもそも何のために租税回避を論じているのか? そもそも租税回避とは実在するのか? と、思索はやがて哲学的なレベルに入ってゆき、もはや村上春樹の小説を読んでいるような気分になってくる論文です。

 ネタバレしたくない方は是非ご自身で読んでみていただきたいのですが、以下に印象的な部分を引用します。

 

本稿は、租税回避という現象が実在するのかどうかを問題とした。租税回避は、課税要件を充足せずに税負担を<軽減する>ことであるとされるが、そのようなことが果たしてありえるのか、税負担は、<軽減された>のではなく、単に最初からその金額だっただけではないのか、と問われたとき、答えはないと思われる。(同328頁)

 

租税回避研究のためには、まず租税回避が現実に存在することを示さねばならないはずである。しかし、それは、たとえばUFO(空飛ぶ円盤)の存在証明と、何が異なるのだろうか。(同上)

 

 大変に面白い観点だと思いませんか?

 これを読んで私の頭に浮かんだのは(岡村先生による高尚な議論と関連させてすみませんが)いつだか妻と話したジョークです。それはお金の節約に関するもので、例えば「今晩焼肉食べに行こうかと思ってたけど、やめよう。その分お金が浮いたからケーキを買って帰ろう(笑)」というものです。この論法でいくと、一旦高い買い物を思い浮かべてそれをやめれば、いくらでもお金を浮かせることができるな、と笑いました。

 もちろんこれは屁理屈で、その節約は「こんなに高い買い物をするつもりだったけどやめた」という言い方次第のものです。実在はしません。しかし考えてみるとよく言われる租税回避の議論もこれと似たところがあって、租税回避によって回避された租税というのはそもそも本当にあったのか、そこが問題となります。

 果たして租税回避というのは実在するのでしょうか、しないのでしょうか。

 なんだかだんだん「あなたはUFOを信じますか」みたいな話になってきたような気がします。