租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

〔書籍〕神野直彦『経済学は悲しみを分かち合うために』

先日とある場所で財政学者(東京大学名誉教授)の神野直彦先生の講義を受ける機会があり、そこで神野先生が最近『経済学は悲しみを分かち合うために』という書籍を上梓されたことを知りました。

 

神野先生といえば言わずと知れた財政学分野の権威です。私も学生時代に財政学をかじっており、神野先生のお名前は様々な誌面で見かけておりましたし、神野先生が書かれた教科書を紐解くこともありました。講義を受けたのはこないだが初めてだったのですが、そういった機会もあり、本書を手に取ってみました。

神野先生の半生と経済学(財政学)への熱い思い

本書は研究書ではなく、神野先生がご自身の半生を振り返りつつ、人生観や経済学に対する思想を語った一冊です。難しい経済学の話はさほどありませんから読みやすく、胸を打つお話の多いとても素晴らしい本でした。

書名の通り、経済学は、経済合理性のみを追い求める冷たい人間による市場の仕組みの解明に尽きるものではなく、人と人とが悲しみを分かち合うためのものだという神野先生の経済学観が語られています。

市場取引だけでは語れない財政の世界

さて、当ブログの主題は租税法及び税務実務ですが、言うまでもなく税にまつわる仕事をする上で経済学・財政学の理解は決定的に重要です。課税のターゲットは私的経済取引から生じる所得・消費・資産であり、そこに租税が介入するのは財政運営のためです。

本書の中で神野先生は、小さい頃にお母様から説かれた「お金で買えるものではなくお金で買えないものが大切」という教えを背景に、単に市場取引(お金でモノが買える世界)を研究する経済学ではなく、非市場をも含む財政学の道に進まれたと書かれています(さらに後年、財政学に社会学的な視点を持ち込むことによって総合的な社会科学として財政を分析する財政社会学を提唱されるに至ります)。

恥ずかしながら、私は学生時代に財政学を勉強しているとき、神野先生流の財政社会学にはあまり興味が湧きませんでした。というよりも、ピンと来ていなかったのだと思います。

例えば課税の理論の勉強といえば、ミクロ経済学の市場の理論である需要と供給のバッテンから出発して、消費税は売り手と買い手のどちらが負担するのか、収入に課税するのと支出に課税するのとではどちらが中立的なのか、を近代経済学のマナーで分析するのが普通に思えたし、そういう数理的な分析こそが客観的・科学的であり、政治学的・社会学的な分析はやや曖昧で情緒的(そしてその意味で非体系的・非科学的)に思えたのです。

しかし本書を読んではじめて、神野先生がどのような思いでそのような体系の財政学を構築されたのかということがわかりました。読み終わった後、この様な神野先生の問題意識を踏まえた上で、改めて神野先生の財政学の教科書に取り組みたいと強く思いました。

本書は経済学や財政学の解説を直接の目的としたものではありませんが、こういった点から言えば、財政学学習の副読本としても大変に意味があるものと考えます。

学ぶことへの情熱を思い出させてくれる一冊

上記の点もそうですが、全体を通じて神野先生の学問への真摯な姿勢、情熱、に胸を打たれます。大学近くの喫茶店で学友と長い時間議論をしたエピソードなど、自分の中の学びへの情熱を奮い立たせてくれるような記述が随所にあります。

税理士は日々仕事をしていると細かい税法の規定を調べたり決算業務を期日までに仕上げることに追われたりしがちで、そもそも何のために勉強をし、専門家がどのような責務を追っているのか、という巨視的な視点を見失いがちかと思います。

そんなとき、本書は力を与えてくれる一冊です。