租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

〔書籍〕『「戦略会計」入門』

高田直芳『「戦略会計」入門』(日本実業出版社2007)


 

少し前の本ですが、見かける度に少し気になっていたのでふと気が向いて買ってみました。

会計学と経済学との融合をテーマに掲げており、その部分に興味があったため楽しみに読みました。

 

本書の魅力としてはまさに

(1)会計学と経済学との融合を意欲的に行おうとしている

(2)机上の空論に終わらないように著者オリジナルの原価計算ソフトを顧問先に導入したデータ(経験則)から検討を加えている

点が挙げられます。

 

ただし読んでいくとミクロ経済学の理解が独特な箇所が多いように思われ、戸惑いが多かったです。

例えば土地の価格については機会費用の文脈で

土地への需要が多いから地価が高くなるのではなく、高価なステーキを食べたり、デパートで高級ブランド品を買ったりしても「気にしない」と考える高額所得者が多くいるから、その周辺の地価は高く吊り上げられるのです。(66頁)

と説明していますが、ミクロ経済学の標準的な理解では「財の価格が需要と供給(の相対的なバランス)で決まる」こと自体は普遍的であり、需要が多いわけではないというのは捉え方ですし(相対的には多くないと価格は上がらないため)、所得云々は需要の背景に過ぎないはずなので、説明の仕方はかなり独特です。

また、操業度とコストの分析における短期と長期について

戦略会計でいう短期は1年きっかりです。1年超は長期です。(…)ところが、経済学で言う短期は、短ければ数分間、長ければ3年程度までの幅があるようです(…)経済学でいうところの長期はおおよそ3年超になります。(128頁)

とありますが、私の理解によれば、ミクロ経済学でいう短期・長期というのは時間の長さで考えるのではなく、生産要素が可変になる期間を長期、そうでない場合を短期ととるのではなかったかと思います。

手元にあるミクロ経済学の基本書『ミクロ経済学の力』には「ミクロ経済学における短期と長期」として

すべての生産要素の量を変えることができる期間を長期といい、一部の生産要素の量が固定されているような期間を短期という。(神取道宏『ミクロ経済学の力』91頁(日本評論社2014))

と明確に書かれています。ですので、イメージや目安として意味があるかはともかく、時間的な長さを重視した記述は標準的なミクロ経済学の理解とは異なるように思われます。

さらには独占的な市場では売上高が販売数量に比例しては上がらず傾きが逓減していくことについて「収穫逓減」であるとして

規模が拡大するにつれて組織内にボトル・ネックとなるものが少しずつ顕在化し、その調整に手間取ることが、収穫逓減、すなわち売上高が逓減していく最大の要因になります。(177頁)

と書かれています。しかしボトル・ネックが顕在化しても単価さえ変わらなければ売上高が販売数量に比例するのは変わらない*1のであって、販売数量を横軸にとって縦軸の売上が逓減するのは単価の低下が原因であり、さらにその原因は市場の需要曲線(数量が増えれば価格が下がるという法則)にあるはずです。このあたりの説明もかなり独特であると感じました。

 

揚げ足を取るような例を色々書きましたが、要するに言いたいのは本書は全編このような調子だということです。

間違っているのではないにしろ、ミクロ経済学の理論を著者独自の定義で言い直したような記述が多く、既にミクロ経済学の知識があるとかえって混乱をきたすような気がしますし、会計学と経済学を融合したことによって新たに何がわかったのかもわかりづらいです。

またそれに伴って、著者が独自のソフトと顧問先のデータから理論に対する実証の傾向を述べている部分についてもどのように定義される事柄について何の結果を示しているのか、いささかわかりづらいように思いました。*2

 

あとは思ったより上記のような「著者流経済学」の考え方の話が多く、企業の経理部や財務部が使えるような実践的な分析・管理手法の話が少なかったという印象です。これは私の勝手な事前の予想との対比なので、良し悪しではありません。

本書の前半部分で書かれているような事柄はミクロ経済学(企業論)をていねいに読めばおさえられるようなところが多いので、あくまで個人的にはですが、そうした部分はミクロ経済学の基本書にあたり、著者の数理的手法を堪能することに関しては『会計&ファイナンスのための数学入門』の方が切れ味が良くて面白いと思います。

 

 こちらの『数学入門』の方は、最適キャッシュ残高の計算式など、以前に読んで色々刺激を受けました。もちろん本としての趣旨は違うのですが好きな一冊です。

 

*1:どちらかというと収穫逓減は、例えば工場の稼働時間に対して、得られる成果物の量が減っていくという話。

*2:もちろん、そもそも理論に対するデータとして論じるにはサンプルが著者の顧問先に偏っており、データ自体ブラックボックスであるという前提があるためどこまで真剣に受け取っていいのかという問題はあります。ただし本書は学術論文ではないため「経験則ではこうだ」ということ自体は書いてもいいと思います。