租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

売買と交換

お客様から交換の特例(所得税法58条)について相談がありました。

しかし、会話をしていると、どうも噛み合わない様子。

「交換の特例を受けるためには、譲渡の時期を合わせた方がいですかね?」

「合わせる??とは???」

 

よくよく話してみると、お客様は「交換」のことを「お互いの土地をそれぞれ売買すること」だとなんとなく思い込んでいたことが判明しました。

もちろん実際には交換は交換であって、それぞれの所有物をただ入れ替えることを指すのですが、考えてみれば現代の商取引ではさほど使わない契約類型であり、なんとなくピンと来なくても無理もないような気がしました。

また、交換の特例に関するタックスアンサー等を見ても「交換とは2本の売買ではなく物々交換のことです」とは書いていません(当然すぎて)。

 

民法の規定ではしっかりと別の契約です。

売買契約 民法555条

売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

 

交換契約 民法586条

交換は、当事者が互いに金銭の所有権以外の財産権を移転することを約することによって、その効力を生ずる。
当事者の一方が他の権利とともに金銭の所有権を移転することを約した場合におけるその金銭については、売買の代金に関する規定を準用する。

 

租税法では借用概念という考え方が基本にありますから、民法で使われている「交換」という言葉が租税法で使われていたらそれは民法上の「交換」を意味するのだな、と考えることになります。

ちなみに民法学はこの区分に対してずいぶんと冷淡です。私がバイブルとしている道垣内弘人先生の『ゼミナール民法入門〔第4版〕』では「売買と交換の区別は、はっきりいって意味がない。交換の規定は民法五八六条しかなく、交換に独自の規律はないからである(120頁)」とバッサリ言っています。

(わかってます…今では『リーガルベイシス民法入門』ですよね…すみません…)

たしかに、売買と交換の違いは「対価が金銭か物か」だけですし、わざわざ定義したのに売買の規律をあてはめるわけですからね。

 

 

しかしこれが租税法の世界では大きな問題になります。譲渡の対価として受け取るのが金銭か金銭以外の物かによって当てはまる規定が変わるのです。

金銭の場合には収入金額の規定である36条の1項にあたり、その金額が収入金額に算入されます。

金銭以外の物の場合には36条1項括弧書き及び2項を使い、物の時価が収入金額に算入されます。

 

所得税法36条

その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額(金銭以外の物又は権利その他経済的な利益をもつて収入する場合には、その金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額)とする。

2 前項の金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額は、当該物若しくは権利を取得し、又は当該利益を享受する時における価額とする。

 

つまり時価と異なる金額で売買される場合には、交換か売買かで課税される額が変わることになります。

このことを「悪用」してあえて交換ではなく相互に低い価額で売買したというのが、租税法の判例として有名な相互売買事件です。

そこでは熱い議論が色々と交わさているわけですが、原則として私法の世界ではどんな契約類型を選択するかは当事者の自由に委ねられており、租税回避目的であれ当事者が真に相互売買を意図していたのであればそう扱うしかないという結論になっています。

そういう意味では「それぞれ売買しようと思っていたけど交換した方が課税を繰り延べられるなら交換にしよっと」と思ったとしても問題はないわけです。

 

個人的に面白いと思うのは交換の特例が、位置付けとしては所得計算の「特例」でこそあれ、措置法ではなく本法の規定であることです。

すなわちこれは政策的な優遇措置ではなく所得計算の基本に関わるものであると考えることができます。

佐藤英明先生のテキストではこの規定の存在理由として「たとえば土地の等価交換などの場合には、納税者は納税資金に困るというような実際上の問題が生じることが考えられます(佐藤英明『スタンダード所得税法〔第2版補正版〕』134頁(弘文堂2018))」という要素が述べられています。

たしかに例えば物価上昇局面において等価の土地を交換しただけなのに両者に多額の税負担が生じるとなれば租税が取引を阻害する原因となりかねませんから、このような配慮は立法的判断としてあり得るところです。

 

売買か交換か、ちょっとしたところですが奥が深いですよね。