租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

〔書籍〕『ホームラン・ボールを拾って売ったら二回課税されるのか』

 浅妻章如『ホームラン・ボールを拾って売ったら二回課税されるのか』(中央経済社2020)

1.二重課税を鍵に課税を考える

 エッジの効いた知性と発言という印象のある、浅妻章如立教大学教授(ウェブサイトTwitter)による初の単著だそうです。

 タイトルはポップですが、金子宏先生・中里実先生の系譜に位置する一流の租税法学の先生ですね。

 内容としてはタイトルの通りの「ホームランボールを拾って売ったら二回課税されるのか」という疑問をフックに、二重課税、ひいては所得とは何かといった問題について学問的な知見に触れつつ掘り下げていくものとなっています。

 私は税理士ですが、普段申告書の様式に従って計算をしているだけでは考えないような思考や観点がたくさん出てきて、大変に面白く読めました。

2.租税法知的遊戯

 例えば、租税法学徒として素朴に疑問に思っていた点として、多くの租税法教科書は「所得=消費+純資産増加」という図式に触れるものの実際にその図式を思考の道具として活かすことがほとんどないということがあります(不勉強なだけでそうでもないのかもしれませんが。また、経済学は違います)。結局は経済的な価値の流入所得税法36条的な収入(所得)と捉える議論がほとんどではないかと。

 以前税理士会の研修を通じて渡辺徹也先生が「アメリカではこれは消費だから所得、これは消費ではない、という議論をみっちりやる」と仰っていたのを聞いたことがあるのですが、そういう議論はどこを見れば書いてあるのだろうと思っておりました。

 その点本書ではアメリカの議論も踏まえ、そのあたりの話がある程度掘り下げられています。何を所得の処分(消費)と捉えるかで所得税相続税贈与税)との関係についての理解も変わってくるといった話は、普段税務を行っていても案外意識することはなく、理論的な見通しが得られるという意味で新鮮でした。

 本書は経済学の思考法を用いて、所得課税を中心に現行税法が取引社会に与える影響としてどのような特性を持つものなのか、こうしたあたりを整理してくれています。

 またこれは本書に限らない(論文を読んでいても感じる)浅妻先生の思考法の特性かと思いますが、ある主張がなされるときにそこに何が(暗黙的に)前提されるのか、どのような論理に依存せざるを得ないのか、そしてそれが他の主張や論理とどのような関係に立つか……安易に考えるとすっ飛ばしてしまいそうな部分にしつこくアンダーラインを引いて検討するような筆の運びが、個別の内容とは別に、頭の体操として非常に刺激になります。租税法を通じた知性の訓練ができるような思いです。

 また、浅妻先生らしさということで言えばところどころに入ってくるエスプリというか、エッジの効いた文章も読んでいてたまらないところです(面識があるわけでもない私が「らしさ」を言うのは大変におこがましく失礼かもしれません。一読者の印象ということでご容赦ください)。

3.想定読者と前提知識

 「はしがき」によれば本書の想定読者は「大学生または大学卒業者のうち法学部や経済学部等で租税を専門に勉強した訳ではない方々」であり、「法学全般や租税法学の知識を前提としてい」ないとのことです。

 ただ、個人的な意見としては、租税を専門に勉強したわけではなくとも大学の一般教養の講義程度でいいから租税法の前提知識はあったほうがいいのではないかと感じます。

 それは本書が基礎的な事柄の説明という部分において必ずしも親切ではないということもそうなのですが、なによりある程度税制について前提知識を持った上で読むと既存の知識に関する新たな見方や発見があって大変刺激的で面白い本だからです。何もわからず読んでももったいないというか、おもしろポイントがわからないのではないかと(繰り返しますが個人的な意見で、私自身は前提知識なしで本書を読むという経験をしておりませんので、それはそれで魅力的な体験である可能性は全く否定できません)。

 私としては日頃実務を行っているが所得とは何かについて深く考えたことがない会計士・税理士や、租税法を大学で勉強している学生にこそ読む価値があるのではないかと感じられます。ゼミの後輩(現役生)なんかには「この本が楽しく読みこなせたら力があるってことだよ」と勧めたくなるような本です。

 本書を楽しく読むための租税法の前提知識を一冊で独習するとしたら三木義一編『よくわかる税法入門』が、経済分析に関する知識については分厚い教科書になりますが『スティグリッツ公共経済学』あたりがオススメでしょうか。