租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

『数理法務概論』を読む(3)契約

 『数理法務概論』、久しぶりになってしまいましたがしぶとく続けます。第3章は契約。

 

 

第3章 契約

1 概説

2 なぜ契約が締結されるのか

3 契約書作成の基本原則と留意点

4 製造物供給契約

5 代理契約

6 その他の契約類型

7 契約紛争の解決方法

8 契約交渉

9 読書案内

 

 本章では契約の締結に関する基本原理を抑えた上で実際にどのようなことに注意しながら契約をすべきかについて経済学的な観点を踏まえて考察されます。

 全体に素晴らしいこの『数理法務概論』ですが特にこの第3章の素晴らしさは尋常ではなく、本章の50頁ほどを読むためだけにこの一冊を買っても十分に価値があると思います。

 

 まず契約書作成の最も重要な原則として「契約が生み出すパイを可能な限り大きくすること」が挙げられますが、ここだけでも毎朝声に出して読みたいくらいです。これが一般理論として意識されていないケースは現実社会では多いのではないでしょうか。

 「契約→交渉→いかに自分の主張を通すか」みたいな漠然とした連想で陣取り合戦の議論だけが繰り広げられている場面をよく見るような気がします。

 しかし最も重要なのは、その契約そのものが生み出す全体の利益を大きくすることなのです。

 私が税理士なので税理士の顧問契約の場合で考えてみますが、例えば税理士側の手間を削減するために顧問先自身で帳簿入力をしてほしいとします。

 これは一見契約における陣取り合戦で「税理士には有利だが顧問先には不利」な条項のようにも思えます。しかし、仮に顧問先にとって帳簿をつける負担が3千円程度で、税理士にとって1万円の利益があるとするなら、契約によって生じる利益は差し引きで7千円増えることになります。

 そうだとするなら税理士は顧問料を5千円引き下げることを提案できます。すると顧問先は5千円の利益と3千円の負担、税理士は1万円の利益と5千円の負担、両者ともに得る利益が増えています。

 すなわち契約が生み出す全体の利益を増やす手段があるならそれを分配することにより必ず両者ともに利益を享受することができるわけです。

 こういったことは案件ごとに個別的には考えている(思いつく場合がある)かもしれませんが、一般的な理論として常に「(自分だけの利益を増やすという視点ではなく)契約が生み出すパイを大きくすることができないか」を考えているかどうかということです。

 もちろん、自分の利益を増やす主張をいきなりすると相手は訝しむかもしれません。契約の利益全体を増やすことが重要であると相手も理解している必要があります。本書ではこうした点もきちんと書かれていて、非常に実践的です。

 顧問契約の例で続けて言えば単に「帳簿は自分で入力してください」と言うのではなく「この金額で記帳代行をすることは可能ですが、ご自身で帳簿をつけていただくことでもっと金額を下げることも可能です」といったように選択肢として提示するといった具合でしょうか。

 

 契約に関する一般原則を整理した後は典型的に重要となる契約類型について論点の整理と実践的な指摘がなされます。内容について細かくは触れませんが、インセンティブとリスクの観点が強調されている点は新鮮です。

 これも個人の経験則というか肌感覚に過ぎませんが、日常的な契約においては「金額はどれくらいが妥当か」「どういった内容の仕事をしてもらうか」あたりに議論が終始する場合が多く、契約が当事者にどのようなインセンティブを与えてどのようなリスクがあるか(そのリスクへの対処が盛り込まれているか)が議論されることが少ない気がします。

 せっかくなので税理士の顧問契約の例でいきましょう(しつこい)。税理士の顧問料は商慣習的に毎月定額(プラス決算料)であることが多いように思われます。しかしこれだと、契約の原理上の一般論として、税理士には何かしらの成果を出すインセンティブがありません。

 もちろん私は税理士ですから自分自身の経験として、定額だからといって誠実に仕事をしないわけではないと声を大にして言いたいところですし*1、「偉大な顧問料システムに文句をつけるのか」と同業者からも怒られそうです。

 しかしこれは分析的に考えると必ずしも税理士に有利だという性質の事柄ではありません。依頼人が「定額だと税理士がちゃんと働くかもしれないし働かないかもしれない」と思えばリスクプレミアムで顧問料を低く要望しているかもしれませんし、報酬が定額で決まっていたら原価が高くなった(要するに手間がめちゃくちゃかかるなど)場合のリスクは税理士が被ることになります。依頼人としては「中身が見えないと不安でお金出す気になれないけど、ちゃんとサービスしてくれてることがわかるならもっと払いますよ」と思うかもしれないのです。

 税理士業務の場合なかなか成果をどう測るかなど難しい問題もありますが、このあたりの契約の性質は自分としてはもう少し詰めて理解してみたいところで、「契約によるパイの最大化」「インセンティブとリスク」といった観点からはまだまだ考えられることがありそうな気がしています。

 

*1:そもそも、世の中に税理士はいくらでもいますから仕事ぶりがダメなら顧問契約を切られます。そういう意味では個々の契約としてではなく長期的な、広い意味での関係性という観点では成果報酬的な側面があるのであって税理士側に顧問先のために尽力するインセンティブが生じているとも言えます(し、それが日々の実感です)。しかし実際に契約条項として報酬が何らかの形で成果基準型になったら今と同じ心持ちでいられるかというとそれはまた違うだろうと想像します。