租税法の迷宮

とある税理士による租税法・税実務の勉強ノートです。

所得概念論を税理士実務に活かす

1.とある確定申告書

  今回は所得概念と実務について思いつき程度に少し考えてみたいと思います。

 考えるキッカケは今年の確定申告業務において新しくご依頼いただいたお客様の過去の申告書を見たことです。

 そのお客様は個人事業主なのですが物を仕入れて売るタイプの仕事ではなく役務提供がメインで、正直なところ若干の仕事道具(それもサラリーマンでいうスーツや鞄程度)を除いては必要経費らしい必要経費は考えられない業務内容でした。しかし、過去の申告書を見ると交際費や消耗品費が相当な金額計上されていました。

 その申告書を作った税理士さんにも相応の考えやその申告内容に至った経緯があるでしょうからそれを知らずに業務の適正さについて云々する気はありません。しかし、それでも素朴に気になったのは、収入から必要経費を控除した所得金額が150万円程度であったことです。そこから国民年金や健康保険、税金等を支払います。

 必要経費は減価償却費のような計算上の金額ではなく現実に支出したものであり、この申告内容を真面目に受け取ると、このお客様は都会での賃貸一人暮らしを月10万円足らずの生活費で行っていることになります。事業収入の他に大きな貯金があったり贈与を受けたりしている形跡はありませんし、過去数年同じ申告内容で推移していました。サラリーマンの手取り収入が10万円だとしたら持ち家でもない限り生活は厳しいでしょう。

 税務署的な視点で見れば、正直、生活費が必要経費に混入されているか、収入の計上漏れがあるのではないかと考えざるを得ません。細かく事実を見ればそうではないのかもしれませんが傍から見ればそう見えるということです。

 そして、このような申告書が生まれてしまうのは税理士が「収入金額と必要経費を帳票から集計して所得を計算する」という実務に慣れすぎて「所得=消費+純資産増加」という所得概念の理論が頭から抜けてしまいがちなことに原因があるのではないか、と考えました。

2.消費は所得である

 日本の所得税法は包括的所得概念を採用していると言われます。名著『スタンダード所得税法』で定義を確認します。

 

包括的所得概念:人が収入等の形で新たに得た経済的利得をすべて所得と考える考え方

(佐藤英明『スタンダード所得税法〔第2版補正版〕』4頁(弘文堂2018))

 これは一種の学説(講学上の概念)ですが、実務家にも馴染みやすい考え方です。しかし包括的所得概念の面白いところはその経済的価値がどうなったかの結果の観点からの定式化があるところです。 

包括的所得概念による計算式

所得額=期中消費額+期中純資産増加

(同上、6頁)

 つまり新たに得た経済的な価値はそれが消費されるか蓄えられるかに分かれ、結果を見れば所得について分析が行えるという考え方です。

 個人的には、この式は色々なところで提示されているわりに実務においてあまりにも活用されていないのではないか?と感じています。もちろん講学上所得について考える道具であるのでしょうから実務に使う必然性はないのかもしれませんが、知っているのに活用されないのはもったいないようにも思います。

 いったいこれに何の意味があるのかというと、佐藤・スタンダードを読むと例えば以下のような事柄が理論的に整理できることがわかります。

 

(1)借り入れによる収入は総資産を増やすが純資産を増やさないから所得ではない(意外にも条文上は自明ではない)

(2)帰属所得・現物所得も消費をする以上所得である(ただし、帰属所得は立法政策的にほとんど課税されない)

(3)資産の値上がり益も未実現であっても純資産増加である以上所得である(ただし、立法政策的にほとんど課税されない)

 

 これらは理論的には重要ですが、税務という観点で具体的な問題を眺めるツールとしてはまず何よりも消費は所得であるという点が重要だと考えます。

 先ほどの確定申告書の例を改めて思い浮かべると、生活費としての消費があり、それに見合う分の所得がなければ辻褄が合わないのです。もちろん、帰属所得や未実現のキャピタルゲインへの課税がなされないなど実際の所得税法は理論的な包括的所得概念そのものではありません。しかし消費と純資産増加を積み上げていけば所得が(実務の手順からすれば)逆算できるはずであり、そうした思考法式は活用されていないのではないかと。

3.実務上の検算と考える

 もう少し具体的な実務に引き寄せて考えてみましょう。我々実務家は請求書や支払調書から収入金額を計算し、領収書から必要経費を計算して差し引きで所得を計算する作業にはよく慣れています。

 

所得 = 収入 - 経費

 

 一方で包括的所得概念の式に見られるように、所得とは消費と純資産増加の和でもあります。もっともその定式にいう「消費」概念にあてはまるものを集めることに慣れていませんし実定法では帰属所得への課税も実質的にありませんから、ここでは卑近な「生活費」という言い方に置き換えてみます。「純資産増加」も未実現のものは実際には課税されないなどわかりにくいですから、貯金の概念を中心とした「貯蓄」にでも置き換えます。そうすると以下のことが成り立ちます。

 

所得 = 収入 - 経費 = 生活費 + 貯蓄

 

 この式は収入から経費を引いた金額と生活費と貯蓄の合計は一致しなければならないことを意味しています。

 このくらい具体的であれば申告書作成実務の検算として、お客様から暮らしぶりについてのヒアリングなどを行いつつ活用できるのではないかと考えます(もちろん聞きづらいプライベートもありますし、厳密な一致を目指すものではなくおおまかな正常性のチェックとしてですが)。あたかも決算書上の利益と課税所得計算の出発点が一致していないと法人税の申告がおかしいように、抽象的な理論ではなく具体的な検算と考えるわけです。

 贈与など親族からの経済的支援をどう扱うかについて厳密に整理されておらずルーズですし貯蓄には不動産や金融資産への投資も含めて考えなければ合わなくなるので、お客様によっては言うほどうまく整理できない場合もあるかもしれませんが、こうした分析は経費の内容の精査や贈与税の申告漏れのチェックなど実践的に役立つ場面もあるのではないかと思います。

 生活が質素で貯蓄もできていないのに「収入-経費」が大きく出るのであれば何かの経費が計上漏れになっている可能性がありますし、「収入-経費」に比べて生活費があまりにも多ければ誰かから経済的支援を受けていて贈与税の申告が必要な可能性があります。少なくとも、こうしたことを多少なり考えているか全く考えていないかでは申告書作成業務の質が変わってくるでしょう。

 見方を変えればゴリ押しで経費を入れたがるお客様に対する説明としても使えます。生活費は経費ではないし、この検算が合うように申告書ができていないと税務署から見て違和感があるということで。

 本稿はあくまでも思いつきレベルではありますが、所得概念論も実務への使いどころがありそうだと個人的には思っております。

 

 

追伸:所得とは何かを多角的に考える材料としては浅妻先生の本も参照。

taxlawlabyrinth.hatenablog.com